「謝罪すれば罪を償ったことになるのか」人気フェイクドキュメンタリー作品が私たちに突きつける“儀式としての謝罪” | 文春オンライン

23日から4夜連続でテレビ東京で放送されているTXQ FICTION第2弾『飯沼一家に謝罪します』。プロデューサーが作品に込めた思いとは…。(全3回の1回目/♯2♯3を読む)

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TXQ FICTIONがスタートした理由

──そもそもTXQ FICTIONはどういったところからスタートしたものでしょうか。

大森時生(以下、大森) 古くは例えば『放送禁止』みたいな大きなタイトルがあったうえで、ウェルメイドなフェイクドキュメンタリー(フィクションの内容をドキュメンタリーのように見せかけて構成する映像手法)のシリーズを積み重ねていくことができたらいいですよね、というところから設立したプロジェクトです。

制作スタッフにYouTubeのホラーチャンネル『ゾゾゾ』のディレクターである皆口大地さん、皆口さんとYouTube番組『フェイクドキュメンタリー「Q」』を立ち上げた寺内康太郎さん、来年1月24日(金)公開の『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』というホラー映画を監督された近藤亮太さんに参加していただき、2024年4月から第1弾の『イシナガキクエを探しています』を放送しました。

──第2弾『飯沼一家に謝罪します』もTXQ FICTIONならではの不穏なムードが漂っていますね。スタッフコメントで大森さんは「謝罪をすれば、罪を償ったことになるのでしょうか」、皆口さんは「ハートフルな物語が完成しました」と語っています。

大森 連携が取れてなくて申し訳ないです(笑)。おのおのが自由に書いたらそういう感じになりました。

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──今回は“謝罪”がテーマですが、どのような狙いがあったのでしょうか。

大森 第1弾の『イシナガキクエを探しています』は今から55年前に突然行方不明になった女性をさがす公開捜索番組をモチーフにした作品で、僕たちとしてもすごくいいものができたと思ってましたし、ありがたいことに視聴者の皆様にもとてもいい反応をいただきました。

その一方で公開捜索番組というテレビ局主体の大きなフォーマットがあるものだと、例えば進行役の安東弘樹アナウンサーが感情を出してしまうと不自然になってしまうため、人間の細やかな感情が描きづらい側面もあるのかなと思ったんです。なので第2弾はもう少し個人の感情みたいなものにフィーチャーしたものができたらいいねという話になりまして、その中で「謝罪」というテーマが構成担当の寺内さん・福井さんから出てきたんです。それを聞いたときに、今回は絶対これだな、と。

謝罪とは本来は個人の感情がベースにあるものなのに…

謝罪って本来個人のものであるはずなのに、昨今は個人のものになっていない現象だと思うんです。それこそSNSの発達とともに毎日いろんな謝罪を目にするし、その謝罪も個人が個人に謝っているものというより、ある種“儀式”として行われてるものが9割5分ぐらいの感覚があって。

よくある構文としての「ご不快になられた方がいたとしたらお詫び申し上げます」みたいな。「謝った」という既成事実をつくるための取材というか。そういうテクニックが出てきている時代だからこそ、謝罪という本来は個人の感情がベースにあるものをテーマにフェイクドキュメンタリーを作れたら面白いんじゃないかという話し合いから、今回の『飯沼一家に謝罪します』というかたちになりました。

──ひと昔前だとテレビの記者会見で「このたびはお騒がせして申し訳ございません」と頭を下げているイメージがあります。

大森 テレビと謝罪という組み合わせも最近は少なくなりましたが、いろんな謝罪を目にしてきましたよね。中には誰が誰に謝っているのか分からないけど、ここで謝罪をすることが絶対に必要だったということだけは分かる、みたいなものもあったり。それを見た時に感じる不穏感というか、グッと引きつけられるような感覚を、フィクションでも生み出せたら、というのは思いました。

 

──”謝罪すれば罪を償ったことになるのか”というテーマを、4夜連続でどのように描こうと思ったんでしょうか?

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大森 ストーリーとしては、2004年──今から20年前にテレビの放送枠をわざわざ買い取って制作された『飯沼一家に謝罪します』という30分番組を放送していて、この番組は一体何だったかを追っていくフェイクドキュメンタリーです。

そこからさらに5年前の1999年、『幸せ家族王』という家族全員でチャレンジする視聴者参加型番組に出ていた飯沼一家が成功して、見事100万円とハワイ旅行をゲットするんですけど、その人たちに矢代が「悪いことをしてしまった」と言っているところから話がスタートします。どうやら矢代は番組の課題をクリアできるように運気を上げる儀式を飯沼一家からお願いされて、やったと。それによってチャレンジは成功したように見えたけど、その後、火事で飯沼一家は亡くなってしまうんです。

その矢代の儀式はどういうものだったのか、なぜ矢代は謝ったのかを当時の番組関係者への取材を重ねていくうちに、いろんな情報が集まって少しずつ明らかになっていくという構成です。

罪って結局のところ償うことはできないのかもしれない

──家族を扱ったものだと、現在公開中のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』(藤野知明監督)にもつながるところですね。

大森 そうですね。4年前のオリンピックの音楽担当に関する炎上騒動の時に思ったのは、罪って結局のところ償うことはできないのかもしれないということです。そういうところにフェイクドキュメンタリーというフィクションを通じて視聴者が接続することで、自分自身の現実に置き換える。年末にその感覚を得るフィクションがあることはいいんじゃないかなと思います。深夜2時からの放送という『イシナガキクエを探しています』よりも更に深い時間にはなっているんですけれども。

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──丑三つ時なので、不穏な雰囲気にぴったりです。

大森 お化けとか宇宙人を信じない人はいても、呪いを完全に信じないのは無理だろうと思うんです。とんでもない恨みを抱えた人が他の人に対して呪おうとする──その気持ちが存在している時点で呪いというものが起こりうる感覚はすごくあって。「存在しない」と口で言うのは簡単だけど、気にしないほうが無理で、誰かからものすごく恨まれてることを知った時点で呪いにかかってる感覚があるんですよね。

呪おうとした気持ちがあることが事実という時点で逃れられないことが僕にはすごく怖く感じられるんです。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように“恨みが発生した時点で、その事実こそが何よりも怖く感じる”というのは『飯沼一家に謝罪します』全体の雰囲気としてあります。

フェイクドキュメンタリーの魅力とは?

──それは最初からホラードラマを作ろうとすると生まれないものですね。

大森 フェイクドキュメンタリーという手法はフィクションとドキュメンタリーの狭間にあるもので、ストーリーラインは決まっていてもセリフや動きは俳優の方と一緒に作り上げていく部分が大きいので、何をもってリアリティとするかは演じる人によって違うんです。その差異が演じる人によって生じ、ひいては作品の印象自体も大きく変わります。

リアリティの話でいうと、僕の父親はすごく寡黙なんです。プライベートではほとんど喋らない人だから、フェイクドキュメンタリーにおいて父親が子供に対してすごく優しくて友達みたいな演技をされると、その人にとっては本当かもしれないけれども僕にとってはどうしても違和感があって、“ここまでフレンドリーにしなくない?”と思ってしまう。

制作側それぞれにとってのリアリティを現場で擦り合わせることによって、リアルだと思えるものに着地させるのが、フェイクドキュメンタリーがフィクションともドキュメンタリーとも違った魅力だと思います。

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