小林幸子さんは農業支援、子供食堂支援「死ぬまで続けたい」 大学や相撲部屋も賛同して米作り|死ぬまでにやりたいこれだけのこと

公開日:2024/12/23 06:00 更新日:2024/12/23 06:00

小林幸子さん(C)日刊ゲンダイ

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「ラスボス」小林幸子さんは、最近ではギャルに扮してDJを披露するなど歌謡界のチャレンジャーとして常に話題を振りまいている。やりたいことも次から次に湧いてくる日々だ。今、取り組んでいること、これからやりたいことを聞いた。 今年は私にとってデビュー60周年です。あれから60年もたったのかと思うと、気が遠くなりそうです(笑)。 縁あって古賀政男先生にスカウトしていただき10歳でデビュー、そして60年です。まさか古希を迎えるまで歌うことができるなんて思いもよらなかった。そんな歌手人生の中でいろんなことをやらせていただき、感謝の言葉しかありません。 これからは、今までの分をファンやお世話になったみなさんにお返ししなきゃね、という思いです。2年前に「幸せプロジェクト」を立ち上げました。目的は農業や子供食堂の支援です。

私は新潟生まれで、両親とも農家の出身です。両親が当たり前のように米作りをやっていたのを見て育ちましたから、それを受け継いで農業支援を死ぬまで続けたい。

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旧・山古志村で田んぼを与えられたのは、2004年に起きた中越地震がきっかけです。あれからちょうど20年。山古志地域の「小林幸子田」で作った新米を「復興米」「幸子米」として3.11(11年)の東日本大震災、16年の熊本地震で被災した人にも届けてきました。元日に起きた能登半島地震の被災地にも、現地がどんな状況かを見ながら届けられればと思っています。

能登は地震の規模も大きくて、それでなくても復興には時間がかかるのに、その後、豪雨にも見舞われ、本当に気の毒になります。本来なら現地で歌って被災者に元気になってほしいけど、今は地盤や家、水道などの復興を見守りながら、コロッケさん、大黒摩季さんといったみなさんとチャリティーライブやフェスティバルなどで寄付や基金を募っています。

新潟は農業県です。過疎化と後継者不足が深刻です。農業は3Kの厳しい職業と思っている人もまだ多いと思います。でも、最近は新しい機材とかドローンを使ったやり方もあるんです。田植えなんて大きな船みたいな機械でやっている。パンプスを履いてでもやれます、みたいな感じに変わってきました。そういうところも見てもらいたいですね。 一方で、旧・山古志村は棚田なので大きな機械が入りません。私たちは軽トラックで行って、手で苗を植え、稲刈りをし、刈ったのをはざ掛けし、天日干しして脱穀するのを何年も続けています。今年は東京農大(東京農業大学)の江口(文陽)学長はじめ、学生さんが農業支援の一環として協力、参加して田植えを実際に体験してくれました。これからも農業支援の輪をもっと広げていきたいですね。 そして、米作りと密接に結びついているのが子供食堂です。十日町の田んぼには子供食堂に通う子供たちもやって来て田植えや稲刈りを体験しました。お米はどうやって作られているかを学ぶのに役立ってくれたらと思っています。

大関豊昇龍がいる立浪部屋は私たちの農業支援に賛同し、新潟で「立浪部屋ファーム」を始めました。そこにも子供食堂をやっている人や子供たちが見に行ったり、田植えとか稲刈りを経験させてほしいというので交流が続いています。

子供食堂はいろいろと課題もあるんですよ。シングルマザーの半数以上は国の援助がないと生きていくことができなかったりする。でも、そんな子供食堂の実情は知られているようで意外と知らないことが多い。ごはんを食べることができなくて大変、他にも事情がある、また障害者のみを対象にしているなど子供食堂もいろいろです。そもそも多くの人がどこにあるのかわかっていないことも多い。そういうことを正しく普及させていくことも大切です。 縁あって出会いました子供食堂をされている方はボランティアの人たちです。自宅を開放して食堂にし、近所の八百屋さんとかお店屋さんが食材を持ってきたり、ボランティアのみんなで持ち寄りでおにぎりを握ったりしています。

そういう実情をわかってもらうためにマスコミの方にも来ていただき、子供たちと一緒におにぎりを食べて、子供食堂のことを書いてもらいたいと思っています。それを広めるのは本来は国とか役所の仕事ですが、私たち歌手やタレントが発信することで広まるのが早いこともあります。そのためにもみんなと奮闘しているんです。

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公開日:2024/12/23 06:00 更新日:2024/12/23 06:00

ギャルのファッションでDJも!(提供写真)

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SNSはニコニコ動画を始めて11年、YouTubeを本格的に初めて4年になります。 YouTubeではYouTuBBA(ユーチューババー)と呼ばれているんですよ(笑)。コロナが始まったのは4年前ですが、私がYouTubeをリニューアルしたのは、そのギリギリのタイミングでした。他のタレントさんが一斉に始めたのはその後なので、少し先駆けて始めることができました。

きっかけは素の小林幸子を見たいと思っている人がたくさんいるという話を聞いていたこと。

それまで歌を生業としてやってきて、他のことはあまりやってきませんでしたからね。ファンの方が、歌手ではない私を見ることができたらと思っているのなら、それに応えようと。バカバカしいことでも真剣にやっているうちに、登録者数がすぐに10万人を超えました。 TikTokも始めました。この間なんかフェスティバルの仕事で新潟に行った帰り、新幹線を待っている駅のホームでビールを飲もうとしているところを撮られ、それを上げたら50万回くらい再生されてバズりました。新曲「オシャンティ・マイティガール」は、意外な人が踊っている姿をアップしてくれて人気になっています。 ニコニコ動画は出るようになって11年になります。一番ウケたのはボカロ曲の「千本桜」を歌った時ですね。

この前はニコニコ動画で「DJはどうですか」と言われ、やってみました。しかも、ギャルのファッションでやるのはどうかって。私は断らない性格ですからね(笑)、小学生のコギャルと一緒に踊ったらバズってすごいことになった。その流れでコギャルと一緒にデュエットのCDを出すことになり、この前レコーディングしたばかりです。

選挙もそうですが、今は本当にSNSの時代なんですね。私はテレビに育ててもらったタレントです。テレビも大切にしていますが、こちらもあながち悪くない。ネットやSNSは、テレビと違って見たい時に見ることができる。これはやはりすごいことだと思います。

そして、新しい人たちと一緒に音楽産業を変えることができたら……。これまで演歌や歌謡曲しか知らなかった私が、ネットの人たちと知り合うことで考えもしなかったことや面白いことができることがわかりました。小林幸子が何か新しいことをやっているから、ちょっとのぞいてみようという人が増えたらいいなと思っています。

ドラマにも映画にも出ます

この前、NHKの「コトコト~おいしい心と出会う旅~」というグルメ人情ドラマにも出演し、NHK・BSで放送されました。テレビ東京系の刑事ドラマでは初めて詐欺師の役をやりました。詐欺師だけど、心根は優しいおばあさんという面白いキャラクターでね。

3年前には「スーパー戦闘 純烈ジャー」という純烈の映画に出ています。佛田洋監督に「何の役ですか」って聞いたら「女王の役です」と言うので、台本を見たら「これって妖怪?」と苦笑い。さらに「女王様の衣装を作る時間がないので、幸子さんの物で何かありませんか」と言うから、紅白に出た時の衣装から選んでもらいました。あの撮影では純烈のみんなと大笑いしましたね。

「60周年はどんな気持ちですか」と何度も聞かれますが、今が一番楽しいです。新しいことを始めるのに年齢は関係がないということをずっと言っています。受け入れてみて、嫌ならやめればいいだけのことです。 小林幸子は死ぬまでやりたいことをやっていきます。みなさん、これからも応援してくださいね。 (聞き手=峯田淳)

◇2025年1月18日「小林幸子デビュー60周年~悠久の歴史の都 平城宮で歌う~」(BSフジ、20時~)

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